やっほーです、Ellieです☺︎
インスタではちょくちょくストーリーをアップしてますが(ちなみに大したことは発信しておりませんよ∩^ω^∩)、ブログの方はちょっと久しぶりの投稿になってしまいました。
ついつい毎日を味わうことに没頭してしまって( ´_ゝ`)
更新してないとアクセス数下がっちゃいそうですが、このブログは自分から湧き上がるものに身を任せて、大切に更新していきたいので
一日一記事なども課したくなく、気ままなペースでの更新にしています☺︎
そのぶん一記事一記事をエナジーを込めて綴っていきますので、多くの方にベストタイミングで響くようなお話をお届けできたらと嬉しいなぁ✴︎
そんな私ですが、2021年もどうぞよろしくお願い致します☺︎
《もくじ》
- 見えない世界を信じる人も信じない人も一度は見る価値あり・Netflixで観れる【Surviving Death】
- もっと大きな規模の現実が存在する
- 前世はあるのか 〜 私の体験と見解〜
- 最後に 〜長い旅の途中で〜
見えない世界を信じる人も信じない人も一度は見る価値あり・Netflixで観れる【Surviving Death】
突然ですが!
みなさん、Netflixの《Surviving Death》見ましたか?
《Surviving Death》では死後の世界や魂のこと、心霊現象やミディアム(霊媒)、輪廻転生など、科学では解き明かせない事柄についてのエピソードが6つほどあって
そういった世界を信じる人も信じない人も、見る価値ありなエピソードばかりです。
特に最後のエピソード6《輪廻転生》については非常に興味深く、実際に前世の記憶を持つ人たちを追っています。
日本軍に攻撃され、父島の近くに戦闘機で墜落した前世を持つ子の話は有名ですが、実際に本人が話ている姿を見たのは初めてでした。
しかも実際に彼が子供の時に日本に訪れ、墜落地点までいき、前世の自分に向き合っていたことを私は知らなかったので、驚きました☺︎
その他にも数人、実際に前世の記憶を持つ子供やその家族をリアルに追っているのですが
前世の記憶を持って生きることって本人にとっても家族にとっても、難しいことでもあるんだなぁ、と。感じるものが多かったです。
もっと大きな規模の現実が存在する
私たちの知る "死" とは肉体の死を意味していて、その肉体の死後も意識(魂ですね)は存続していく。
なぜ人は新しい肉体に宿り、また新たな人生を歩むのか。
そして、それはいつまで繰り返されるのか。
魂はエネルギーであり物質ではないので、この手の事柄は人類の科学では永遠の謎となるのかもしれませんが
世界各地のシャーマン、ミディアム、様々な人の知恵をまとめていくと、ある時がくると人は生まれ変わりを選ばない領域に達するんだと感じます。
その後、神のような存在として宇宙に存在するんじゃないかな、と感じたり。
私はこのブログでもインスタでも何度も繰り返し同じようなことを言ってますが、
私たちが見ているこの景色、この世界に重なって【意識の世界】が間違えなく存在しています。
これは、宗教とかスピリチュアルとかそういうカテゴリーに振り分ける話ではなくて、現実の話で。
私たちが当たり前に知りうる "現実" ではなくて、"もっと大きな規模の現実" という意味です。
人類は様々なことを解明してきましたが、宇宙全体の規模で見るとそれはまだ最初の扉を開いた程度なのだと思います。
私たちは知らないことばかりです。
ビッグバンなどもハッキリ言ってしまえば机上の空論であり、ビッグバンが起こった空間がどこなのか、そして何なのか、そこは有る/無いという概念があるのか...それすらもわからないのです。
私たちの感覚では理解し得ない、世界があるのかも。
私は宇宙にはエネルギーが広がっているのを感じています。
【宇宙自体が一つの生命体】という感覚が一番しっくりきていて、私たちも含めて宇宙の全てのものは、宇宙の細胞のようなものかもしれないと感じてます。
そしてエネルギーは時間や空間を超えるもので、全ては完全に繋がっていると感じます。
個人的には《Surviving Death》は輪廻転生以外のエピソードも興味深くて、何より私が体験していることが、当たり前に理解している人がいることや世界中で昔から真剣に研究されていることが知れて嬉しかったです。
しかも怪しい団体とかではなくて、ちゃんとした研究。ちゃんとしたドクターや博士たちの研究です。
有能な博士たちが何十年も追い求めているエネルギーの世界。
昔々から多大な資料が残されてきていて、大学などで大切に管理されています。
特にミディアム(霊媒)の方々のエピソードの中には私の経験してることが沢山あり、理解してもらえた気持ちになり、なんだか涙が出そうになりました。
私は色んな経験をしてきましたが、文章にうまくできなくて、このブログにあげていないことも沢山あります。
ノリで話せない無いこともあれば、思い出すと怖くなって文章にしないこともあります。
いざ文章にするとまるでイカれた話や、薄っぺらい話にしか聞こえない気がして、消してしまうことも多々あります。←
文章を書く才能さえあれば!と思いますが、残念ながら私の文章力はこの程度(・Д・)
とはいえ、さまざまな体験はどこかの誰かの役に立つ気がしていて、ゆっくりとでもこのブログに書き綴っていきたいと常に思っています☺︎
前世はあるのか 〜 私の体験と見解〜
みなさんは何か妙に好きなものってありませんか?
何か、妙に落ち着くものとか、妙に懐かしいもの。
そういったものは、私はシンプルに前世と関係しているように思います。
私の兄は子供の頃、戦車とか戦争の絵ばかり書いていて、側から見たら、頭大丈夫?な感じでしたが、
そういうのももしかしたら前世と関係あるのかもと《Surviving Death》をみてて思いました。
兄の絵はいつもまさにあの父島の近くで死んだ前世を持つ子が書いていた絵そのものでした。
前世の記憶はもしかしたらみんなあるのかもしれないですね。
だとしたら、その子の持って生まれたユニークさや性質は、長年続いてきた大切な魂の輝きですね。
人の心の傷だって、ヒプノセラピーで原因まで遡ると今の人生ではない過去の出来事が原因だったりするんだとか。
ヒプノセラピーなどは日本ではなかなか受け入れられてないみたいですが、私は瞑想やヒプノセラピーで不思議な体験をしています。
私の場合ヒプノセラピーをしていると、ある瞬間に一息だけフーーっと勢いよく体の深いところから息が吹き出ます。
その瞬間から、意識だけが旅をするようになります。
これはいつも同じで、上手く説明できませんが、普通の呼吸とは全く違う、深いところから勢いよく、一息だけ出るのです。
その瞬間『あ、意識の世界に入った』とわかります。
寝てはいないし思考もできるんだけども、自分の意識には無い、これまで見たこともない景色や人が見えてきます。
ある時みたヴィジョンでは、私はヤギのミルクを運んでる子供で、服もすごく汚くて、寒くて... ともかく貧しい感じ。
そして、木も見えました。
この体験の後に調べてみると、面白いことにそれはある地方に生えている木で、しかもその地域でヤギのミルクは貧しい人の飲み物と言われていたんだとか。
そして別の日に見たヴィジョンでは、私は大きな木のテーブルを前に座っている状態で、左側に小さな台みたいなのがあって(それも木製)
その上に織物が敷いてあり、その上にナイフが一本置いてあり、ナイフの柄は私の方を向いていました。
そこは薄暗くキャンドルの明かりで過ごしていてるようで、晩御飯を食べる前だと感じました。
その時は貧しいわけではなくどちらかというと、お金には困っていない裕福な感じを受けました。
このヴィジョンを見たあとに、『なんでナイフ一本やねん』とおかしく思っていたのですが
織物の柄や色を頼りに大体何世紀のものか、どこの地域の織物かを絞れてきた時に、びっくりすることが判明したんですね。
なんとその織物の柄が作られていた年代でその地域では、フォークもスプーンも普及しておらず、食卓にはナイフが一本で用意され、主人が食事を切り分けて、切り分けたあとはみんなで手で食べていたんだそう。
ちなみに、私は調理師の免許を持っているので、カトラリーが何年頃にどこからどこに運ばれて、根付いていったかなどの歴史の知識はありましたが、それ以前の食事のツールについては全く知識がありませんでした。
それを知った時はすごい衝撃で。
自分の見たヴィジョンや景色が実際に昔にあった光景だったことを、理解しました。
生まれながらにあざがある人や何か特徴を持っている場合、前世でその部分に致命的な外傷を受けてることが多々あるようですが(これは前世の記憶を持つ人の裏付けをとる研究者たちが報告していること)
私と旦那さんにも、同じものが同じような大きさであります。
去年病院で健康診断したときに、お医者さんが同じものが同じようにある人たちが、出会い、そして結婚するというのはなかなか無い確率だよね、とおっしゃっていました。
私たちはずっとお互いをソウルメイトだよねと言っていて、それは単なる思い込みではないのかもしれないとよく思います☺︎
まったく別の国に生まれ、全く別の人生を生きてきたのに、今一緒にいることを奇跡であり必然だったと感じています。
それらの経験からも、私はただ今を生きているこの体だけが、私たちではないと感じています。
もっと深い、意識や魂、エネルギーの旅なのかもしれない、と感じるのです。
最後に 〜長い旅の途中で〜
愛や感謝、喜びや悲しみ、絶望や挫折...
もしかしたら人は様々な感情をしっかりと経験し終えるまで、生まれ変わるのかもしれません。
長い長い旅をしているのかもしれない。
そう思うと、現在という自分のメガネを通してみているリアリティーに対して、琴線が張ったような精神状態で生きる必要なんて一ミリもないんだと思う。
瞬間瞬間を味わって、
喜んで
悲しんで
楽しんで
退屈して
挑戦して
挫折して
悔しくて
挑戦して
感謝して
愛して、愛されて
怒って
赦して
愛して、愛されて...
肩の力を抜いて《感じること》と《喜び》を大切にしながら
瞬間・瞬間をしっかりと生きるだけで十分に素晴らしいのだと思います。
もし、そのあたりを本当に深い部分で察していたらあの人は自ら命を絶っただろうかって、時々ふと思うんです。
とても辛くて、今の人生を自ら終わらせたとしても、同じような試練を次の人生でもしなければいけないのなら...それがもし自分の経験しなければならないものであるなら...
今世の人生で体験する決断をするのもいいかもしれない、ですね。
私は毎日祈ります。
理由があり今世の人生を自ら終わらせてしまった人々が、いつか次の人生を選んでまたスタートを切っているとしたら
そこで腹の底から笑って、幸せと感謝を数えて、人生の素晴らしさを死ぬほど、存分に感じて生きますように、と。☺︎
私も過去に真剣に命を絶つことを考えた時期、それを望んだ時期がありました。とてつもなく長い10ヶ月でした。今思えば、おいおい何やってたんだよって感じなんですが。当時は真っ暗闇にいたのですね。
全ての人に、全ての魂に、健闘と幸せを祈ってます☺︎
↑上から目線で"健闘を祈る"って言ってるのでなくて、本当に純粋に、力強い応援の気持ちです☺︎
もちろん、今世の自分にも!!
自分の喜びに沿って、全てのプロセスを味わってエンジョイしていきたいですね。
To Do リスト
ってな具合で
- enjoy
- enjoy
- enjoy
これを読んでくださっているあなたにも健闘を祈ります☺︎(何様や)
長々と読んでくださってありがとうございます。
今夜も冷えるので暖かく安全にお過ごし下さい✴︎